Que seja feliz

強くなる為のブログです。日記を書くような感覚で書いています

変わる時

23.0510

 

はてなブログは久しぶりになってしまった。

 

ブログを読み返すと今よりずっとキラキラした自分を見つけてびっくりしている。

生まれて来てよかったと思える人に出会えた私は凄いね。死にたいと言いながら生命力に溢れている。会えなくても、いつ会っても笑い合える私で居たいと思う。

 

何かを得られそうな感覚がずっとあるのに、

何も得られることのないまま日常が過ぎていっている。

ずっとずっと遠くで自分を眺めながら、哀れだと思っている。好きな人というか憧れの人を想うとこんなところで燻っている場合ではないと解るのに、解るのに動けない。

 

東京に出なくては。

それしかないのに。

「ちゃんと解るじゃん」とよく先輩方から言われる。でも解るだけではダメなんだよ。本当に。

 

大河ドラマのどうする家康で、家康が瀬名に「弱い心は置いていく、持っていてくれ」と言っていて

ああ、こうやって死別して現世までパートナーの弱さ(欠けた心)を抱えて皆んな生きているのだなぁと思った。

 

解っている。

まずは家族での問題を解決しないことには私が動けないこと。

家族なんて捨てて自由になりたいね。

そうだね。

でも誰かの家族を大切に思いたいなら、私自身の家族を大切に思える人で在りたいでしょう?

 

なんでも彼レベルで物事を考えないと。

行動に移さないと何も変わっていかないよ。

覚悟を決めて。

もうこの道しか残されていないから。

 

どうしたって会いたいんだから。

「効率的に動いて」と言われる度に私の心が死んでいく。

22.08.22

 

私はマイペースで、

他人から見たら驚くほどマイペースなのだと思う。

それに加えて自己流が過ぎる。

あまりに非効率。

 

「効率的に動いて」は愛のムチなのかも。

 

でも私は

正論が欲しいわけじゃ無い。

正解を教えて欲しいわけじゃ無い。

 

ただ知って欲しい。

押し付けがましくて、汚くて、ドロドロでネガティブで嫌な気持ちにさせてしまうものだと解っている。

それでも知って欲しい。

 

「効率的に動いて」と言われる度に私の心は死んでいるんだよ。

正解を教えられる度に死ぬんだよ。

間違いを指摘される度に首を絞めているんだよ。

失敗をする自由がなくなって、

制限されて、世界が狭くなる。

 

ただ、正解の道だけを行くのが人生なら全てがどうでも良くなってしまう。

SPECで当麻紗香が「人がただの乗り物なら、何故感情を抜いておかなかったのか?」

と問いかけていてその通りだなと思う。

 

死んでくれ。

お願いだから死んで私。

 

もう終わりにしたい。

心のままに

22.05.26

 

ここ一か月心の調子が悪い。

しんどい

死にたくなる。

体の感覚がなくなる。

ここのまま溺れてしまいそうになる。

 

好きなもので何とか繋ぎ止めながら、生きている

音楽も小説もラジオもドラマも漫画も全てが私を繋ぎ止めておいてくれる。

 

でも、本質的には何も誰も救ってはくれない(私が救ってくれとお願いしないから)。

 

私を救えるのは私だけだと知っているから

私は自分で答えが出したくて、他人に頼ることがないんだと思う。

 

泣きながら笑うのか

笑いながら泣くのか

どっちを今の私は選ぶのか。

 

何処にいて、だれの言葉を聞いているの?

 

そこは優しい世界?

 

私が助けに行ってもいい

 

私を助けに来て

インナージャーニー

22.05.17

 

君の心は丈夫だし、君は気骨があるから、ずっとここにいても、世界中を旅している奴よりたくさんのものを見ることができるよ。そういう気がするね。

 

よしもとばななさんの著書TSUGUMIの中の一文です。

 

私たちはどこに居ても、身(心)一つでどこへでもどこまでも旅ができるね。

 

世界中のどこに居ても、世界中を知ることができる。

全てを感じることができるね。

私たちは知りたいと思ったその瞬間に愛そのものになれるね。

 

愛を歌おう

歌いながら心の旅に出よう

どこに居たっていつでも私は自由だよ

目を閉じて世界を感じて旅に出よう

 

優しい愛をくれた最愛の人はもう私の一部となって、私の人生をより豊かにより深みのあるものにしてくれたに違いないんだから

大丈夫。どこに居ても立ち直れる私になったよ

 

インナージャーニー

インナージャーニー



いつも素敵な歌と共に旅に出よう

ここに居て

22.05.11

 

日中の日差しに暖かさが加わって

愛おしく感じてる

 

不安と罪悪感と無気力と虚無感に襲われながら毎日を過ごしている。

いつも、あとほんの少しだけマシになればいいなと祈りながら生きてます。

 

音楽は必須。

カネコアヤノさんを聴きながら「変わりたい、変われない」と思ってる。

変わりたいんだよ。でも変われないんだよ

 

Nのためにの「頑張れ」を糧に1日過ごしてみるも1日しか頑張れの効果は効かなくて、すぐに頑張れなくなる。

 

お願いだから私よ、泣き止んで

ずっとそこに居ないで、こっちへ来て

 

頑張れ

もう少しあと一歩だけ頑張れ

頑張れ

 

どうかここに来て

ここに居て

 

  助けて

22.05.03

 

春が終わる感覚だけが襲ってきて、まだ夏には程遠い。

季節の変わり目はいつだって悲観的な気持ちに陥ってしまう。

 

誰かを見ていて、誰かを探している。

 

そのことだけが本当に悲しいような悲しくないような…

以前よりも視界がクリアになっているのは解る

だけどいつも何か足りなくて不足感からしか物事を認識できない。

 

心が動くことはない。

 

ずっと誰かを想っているようなそんな気分がずっと続いている。

永遠に答えがないような

 

問が何だったかさえももう見つけ出せないでいる。

 

宙に浮いているようなそんな感覚

 

心がここにない。誰に何に対しての助けを求めたらいいのかさえもわからない

多分そこにあったはず

 

心の一番深いところにいて「俯かないで」と笑ってくれていた。

 

今はもういなくて何かを伝えそびれてしまって

 

何処かに大切なものを置いてきてしまったから私は取りに帰らなくちゃ。

先に行っていてすぐに追いつくから。

 

少し遅れていくね。大丈夫だから

 

一等光っていて

一番に見つけに行くから

 

 

信じる

22.01.30

 

人を愛することは難しい事だと今でも少し思う。

 

そして信じると言うのは最大の愛だとも思う。

 

そして何よりも難しいのが、信じることであって、何よりも美しいのも信じることだと思う。

 

どんなに傷ついた心で、どんなに汚れた姿で、どんなに惨めで悲惨で残酷であっても

他人が「真心の貴方はどんな姿であっても美しい」と信じてくれるのならばドン底にいても絶対に這い上がれるはずだ。

美しくなくても美しいと信じてくれるのは強い愛だと思う。「信じられない。それでも信じたい」と思える底抜けの優しさに似ている。

 

そして私たちは信じてくれた人を絶対的に信じるべきだ。

「あの人が言うのならば、今どんなに汚く惨めな姿でも私は美しいはず」だと信じるべきだ。優しく愛に溢れた人を否定することなく愛で返したい。

自分のことはいつだって信じられないけど、「こんなにも素敵な貴方が言うのならば」と信じたい。

それが最大の愛だから。

 

どんなに上部の優しさで取り繕ってもきっとダメで、根の部分は信頼することだと思う。

 

「私と一緒にいたら貴方を絶対に傷つけない」が愛ではない。「一緒にいることで傷つけるかもしれないけど、その傷ついた心を絶対に癒してみせる」と諦めではなく、信じぬく心そのものが愛だ

 

現実ではなく、真実を見て

自分の弱さを認めて、最愛の貴方を信じる。

きっと凄く難しい。それでも貴方を信じないという選択肢は初めから用意されていない。

 

貴方が私を信じてくれたように

私も貴方を信じたい。

 

 

いつもありがとう