Que seja feliz

強くなる為のブログです。日記を書くような感覚で書いています

淡い呪いに心からのさよならを。

24.0226

言葉にできない、想いを受け取る。

それはプレゼントとして形作られ、私への愛として届く。

「愛」というものの器の大きさに驚く。

結局なんでもアリなんじゃねぇかよ。と心の中で悪態をつく。

ここにいる間に「全てを受け取らなければ」と焦りが出てくる。

その反動で一人になると、死にたくなる。涙が止まらなくなる。こんなものが愛なはずがないとみんなを否定したくなる。

「こんな愛なら要らない」と拒絶したくなる。

汗が止まらない。全てがより一層不快になる。

こんな私など愛されるに値しない。

 

想いが自分の理解を超えた時に、私はとりあえず笑うことしかできずにただただ笑っている。何もわからずに。

それを見てみんなが、笑ってくれていると受け取る。

笑うしかないだけなのに。

不思議だなぁと思う。

もうこんなことなら、全てやめてしまいたくなる。

こんな私の想いも、また言葉にできないのだ。

 

「こんな想い誰かに解ってもらえる筈がない」

としたみんなの絶望が、

「解ってほしい」という願いに変わり、淡い呪いとして降りかかる。

私にのしかかる重たい「何か」は、些細な悲しみから生まれた、些細な願いなのだ。

そしてそれは、のしかかった私の願いでもある。

私の願いが今、私にのしかかり

私の願いを今、私が受け取ったのだ。

 

受け取ったことで、呪いは呪いではなくなった。

「悪意」では無かったと知ることには大きな意味がある。物事の見え方が丸々変わってくるからだ。

それこそ愛なのだから、怖がらずに受け取っていいよ。

誰も私を傷つけようとなど、本当は考えていないよ。

 

蓋を開ければ愛しかなかった。

淡い呪いにさよならを。

 

宝物

24.0111

 

他人に私の感情や思いを決めつけられたくない。

愛を押し付けられたくもない。

だけれど、私が私の感情や思いを決めつけるのも違う。

私の愛を私に押し付けるのだって違う。

 

世間でいう常識に囚われていなくても、

私の中に密かに流れている常識に囚われている。

教えの中に流れていた物だろう。

 

熱はいつだって、冷めていく。

私を叩き起こし、突き動かしていたあの熱ももう冷めてしまった。

それでも、地震があった地域があなたの地元だったことは忘れない。あなたが、あなたに関わる人たちが、全ての人たちがまた、笑えるようになりますように。

 

自分を信じられなくても、他の誰かを信じられなくても、あなたの幸せは信じられる。

 

何度でも生まれ変われる。

 

あなたの愛が私の中にも流れている。

形を変え、また熱となる。

 

意思を超えて、続いていく。

繋がっている。

私の身体そのものが宝物であったと気づきました。

お誕生日おめでとう。

押しボタン式の信号と気づかずに待っていると、寂しくて死にそうになる。

23.0811

 

夏のキッチンは暑い。

冷房は効かないし、サーキュレーターも役目を果たさない。換気扇を回しても暑さは無くならない。

 

うちのキッチンは西向きなので19時ぐらいまでは、キッチンに立たないほどだ。

 

夏に揚げ物が出てきたなら、みんな作ってくれている家族に金を払え。

 

晩御飯を食べ終わって、一息ついた21時過ぎに、アイスコーヒーが飲みたくなってフラリとコンビニまで散歩した。

 

コンビニを出ると生ぬるい風に当たって、このまま帰るにはもったいない気持ちよさだった。

ペットボトルに入ったアイスコーヒーを飲みながら、「あ、お酒買えばよかったか」と思ったけど、コンビニの中に入ってお酒を選ぶのも面倒くさい。

 

しばらくすると、高校生ぐらいのカップルが浴衣で現れた。

近くでお祭りをやっている様子はなかったから、自分たちで花火でもしたのかな。

油臭い揚げ物を食べながら中良さげに話しているのを見るだけで胸糞悪かった。こんなに寂しい思いをしている私を気遣って早く帰れよと思ったけれど、きっと二人には最高の時間なんだろうなと思って私が帰ることにした。

 

歩き出してもやはり、帰りたくなくて無駄に自宅マンションの周りを何周かした。

 

家に帰らず、近くの公園のベンチでお酒を飲み時間を潰す父親がいると聞いたことがあるけれど、気持ちがわかるような気がした。

家の明るさが暖かさが、鬱陶しくて仕方ない。

気持ちは暗いのに、明るすぎる。

 

そういや、私が中高生の時も同じように家に帰りたくなくて、夜に友人達とコンビニまで散歩してダラダラしていた。今まで忘れていた。

 

私はずっと、帰りたくないのだ。

 

何で思い出せなかったんだろう。

なのに、兄弟の中で私だけが母と暮らしている。急激に現実がわからなくなった。

何してたんだっけ?と不思議でしかなかった。

 

時間がワープしたみたいな感覚になった。

 

私は家を出たいのだ。

外に出てみたい。

これが全てなのかもしれない。

理想の私

23.0717

 

何がしたかったのかわからなくなった。

人に会って話を聞かなくてはいけないような気がした。

弱い自分でずっといると、強い自分を忘れる。

可愛がられるとどうも力が出ない。

「そうか、私はここまで反骨精神でやってきたのか」と思い知らされた。ほめられると途端にどうでもよくなってしまう。頑張る理由が消えてしまう。小さなことだけれど。

 

じゃあ今、何をしたらいいのか。

やっぱり人に会うべきだ。私は圧倒的にそれだけだった。

本当にそれだけだ。

それだけなのに、誰に会ったらいいのかも、どう合えばいいのかもわからない。

合いたいと思える人がいない。

 

何を話したいのだろう。

何が聞きたいのだろう。

どう思いたいのだろう。

 

理想ばかりを追いかけて、だれと会おうと結局今の私のまんまでは、いろんな殻に閉じこもって本音で話などできそうになかった。

そこが私の欠点だ。

理想に閉じこもっている。

 

でももう、自分だけの世界じゃ限界だ。

全ての私が、今の私についてきてはくれないだろう。今が変わる時だ。

 

四の五の言おうが自分の殻から出てこなければいけない。

怖くても歩きださなければいけない。

 

 

なぜ、理想の自分にこだわる?

どんなところを特に感じる?

 

人からわかりやすく持ち上げられたい?

頑張ってる感が欲しい?

人と私は違うと思いたい?

私は人より努力しているからこれが限界の幸せなのだと思いたい?

自分の弱さなど人に見せたくない?

誰にも見下されたくない?

自分の醜さから目を逸らしたい?

圧倒的な努力などしたくない?

楽して幸せになりたい?

 

それって果たして楽なのか?

幸せか?

 

現状苦しくない?

多方面から物事を観る大切さと同じくらいに、一つの目線から見る世界の大切さにも気づかされる。「そこだけは」と避けてきた目線に私の大切なものをいくつも置いてきているのだから。

 

私は考えが浅はかだ。

認めたくはないが、想像力に欠ける。

 

小手先だけの丁寧さに魂は宿らない。

そんなもので人は騙されない。

私はそういうところがある。

器用だからこそ、そうやって「本気でやってこれなんです。不器用なもんで」という風に取り繕っている割と器用なずる賢さを持っている。

 

もうやめよう。より惨めになるだけだ。

苦しさが蔓延している。

真面目に取り組めないのなら、素直にそう打ち明けるべきだから。「やっているフリ」なんて実にアホらしい。

そんな奴一緒に殺しに行こうではないか。

そうだろ?

 

殺そう。今日限りでお別れだよ。

じゃあな理想の私。

 

等身大の私で人に会いに行く。

話がしたい。

何を思っていて、どうしたくて生きているのか。

聴きたい。聴かせてほしい。

好きな人の話を。

 

思いと想いのマッチング

23.0715

欲しい言葉を見つけられた時が一番嬉しい。

自分の存在に急激に価値がついたように思える。

なんでもそうだ。考えるというのは、欲しかった答えの在処を膨大な意識の中から見つけ出すということだ。マッチングだ。

それが出来た時の爽快感は凄まじい。

自分の中からはもちろんだけど、他人に見ることの方が多い。ありがたい。他人に出会えてよかった。この世に私以外にも人間がいてくれてよかったなと思える。

 

胸がギュッとなる。

欲しかった言葉を見つけた先を、また見つめなければいけない。その言葉の深い意味を見つめて解体して、私の身体に腑に落とさないといけない。私へと変化させる。それは私自身に深みを出す作業なのかもしれない。

 

知らなければいけないことだらけだ。

愛を知りたい。知らなければいけない。

そのために、できるだけ言葉を見つけよう。

それしかない。

それだけだ。

喉の痛みの原因

23.0630

 

六月の最後に喉痛みを覚える。

エアコンをつけなければ蒸し暑くてしょうがない。でもエアコンをつけると喉を痛める。毎年そうだ。声を制限される。

なんだか、「私を世に出さないぞ」という強い意志を感じる。

 

【蒸し暑さ】

正気でない。想いが停滞している。

流れを作るために、留まっているもの。

背中を押すもの。味方となり最後まで一緒に駆け抜けられる存在を表している。

 

【エアコン】

快適に過ごせるよう、苦しみを無視する力を与えるもの。このままでいいと伝えるもの。

全てを忘れさせるもの。自分を見失っている。

 

【喉の痛み】

変化することなど、望んでいないのだから流れを作る奴の「声」を奪い、間違った事をしていると気づかせどうにか成長を止めようと必死になるエゴの力。愛が全てじゃないよと伝える悲しみの集合体。幼き声を全無視する親の集合体。日本で誰も目覚めさせないようにする連合軍からの圧力。愛を見失い助けてほしいと泣き叫ぶ人たちからのSOS。私がかつて救えなかったみんなの悲しみ。私が立ち上がらないことへの叫び。

 

▶︎3つまとめて

私が私を救う道に入ったことによって、みんなの救いの道が開かれました。

流れるべき方向へと流れていき、あなたを見捨てる道があなたを救う道だと知っているから進めます。

私がみんなの先生として立つことが道でした。

私が私の世界のリーダーです。

存在してくれてありがとう。

信じ合っていたとしりました。

あなたを見ることで、私の「今」を知りました。

私とあなたとみんなが一つになりました。

世界は私の心を映していました。

笑っています。

私の力は、あなたの力でした。あなたの真似をしていました。先に立ってくれてありがとう。

あなたがいるから私がいます。

一緒に進んでいます。

声を取り戻しました。

歌いながら進んでいます。歌っています。

真実を伝えています。みんなから望まれています。

私が望んでいます。あなたが望んでいます。

あなたを救うためにここに来ました。

あなたと共に歌っています。

救ってくれてありがとう。あなたにずっと救われていました。愛されていました。

あなたを愛していました。

ずっと言えなかった「ありがとう」を言いに来ました。

あの時救えなくてごめんなさい。あの時救ってくれてありがとう。もう自己犠牲をする世界は終わりました。愛し合える道が始まりました。

幸せを知る道に入りました。

ありがとうから始まる世界です。

生きる勇気を持ちました。

愛の世界を生きています。

笑い合い、共にそばにいます。

仲間です。友人です。見捨てることなどない世界です。神の世界を生きています。

私になりました。幸せです。

愛です。

 

年上の知人からの想念が来ていたよう。

本日はここまで😊

 

君は可愛いとても可愛い、僕ではとても愛せない

 

この世には、羊文学でしか埋められない心の隙間も、andymoriでしか埋められない心の隙間も、カネコアヤノでしか埋められない心の隙間も、キリンジでしか埋められない心の隙間も、星野源でしか埋められない心の隙間もある。

 

歌うことは私のSOSだ。

 

つまりは、菅田将暉でしか埋められない心の傷だってあるということだ。

 

 

お別れの予感を感じ取ってしまった日から、気が気じゃない。

ソワソワしてしまう。いつだってお別れは悲しくて、寂しくて、少しだけワクワクする。

終わりの次はいつだって始まりが来るものだからね。ワクワクしちゃう。新しい自分になるのは嬉しいこと。

 

突然、物凄く何かを好きになることがある。

「何か」が何なのかはわからないけれど、すごく好きで、胸の奥でギューっとして、ワクワクドキドキする。言葉にまだできない。でも好きで好きでたまらなくなる。こんなのは流れる意識の一つに私はチューニングを合わせてしまったとか、そんな程度なのだろうなと思う。でも全意識がそちらに向いてしまう。意識の事故だ。

集合意識にかなり影響を受けていて、ブレブレやないかい!とツッコミたくなる。

 

はてなブログ。いつも私の承認欲求を満たしてくれてありがとう。誰にも観られていないけれど。それでもありがとう。

 

元気なのか元気じゃないのかはわからないけれど、これからも続けていくよ。私にさ、気づいたらさ、また笑いかけてよ。あれめっちゃ嬉しかってん。人生で一番嬉しかった。ほんまに。

また会えたらいいなぁ。会うために生きていたい。そのために頑張れる気がする。ありがとう。

 

私に出逢ってくれてありがとう。