Que seja feliz

強くなる為のブログです。日記を書くような感覚で書いています

想い

22.01.28

 

私が信じた好きな人達の事を忘れないし、きっとずっと信頼している。

 

私に andymori を教えてくれた人

凄く素敵な写真を見せてくれた人

素敵な短歌を紡いでくれている人

島暮らしの辛さをブログに綴り続けてくれている人

私の音楽を肯定してくれた人

友達になろうって言ってくれた人

救ってくれた人

 

ずっと忘れないしいつまでも大好きです

年明け

22.01.05

 

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明けましておめでとうございます🎍

 

今年はこのずっと密かに誰にも見せずにやってきたブログを誰かに見てもらえるように頑張ります。

自分の為だけに書く文章と、人目があると分かっていて書く文章の違いを楽しめたらなと…

 

年が明けて5日が経ちました。

年末から何かをずっと探している感覚が抜けずにいます。福岡に二泊三日で一人旅に行ってみても確かなものは掴めなくて今日やっと自分自身と対話できるチャンスが訪れたのでこうして文章にしています。

私は自分との対話があまり上手ではなくて、対話しているつもりがエゴエゴの自分とのやりとりだったり、一人になると周りのエネルギーや自分自身の逃げ出したい感覚にどうしても従ってしまいます。本当はわかっていてもやめられない感覚から抜け出せずにいて、辛くて泣く事もできずに引きこもり状態でした。

 

誰にもみられないブログを書くことはとても楽しくて、「本当のことを伝えられる」感覚が私自身にとても届くので純粋な私に戻れたと思い出します。

「誰かの為の私」が「私の為の私」に戻った感覚です。

 

他人に対しては上手く伝えられなくても、私自身に対しては上手く伝えてあげられることができます。純粋な私自身と関わると心清らかになり、辛くても悲しくても必ず理由があるとして関わっていけるので諦める事がなくなりこの不幸がずっと続く苦しみから解放されます。

 

私が私自身から笑顔にしていく事で、いつの日か他人を笑顔に変えられるようになりたいと願います。

 

今年は色々な人と本当の関わりをしていく年になるなと感じています。

表面上の関わりではなく、本質的な関わりが大切になってくるし私自身の課題です。

恐れや不安からではなく、全ては愛からなのだと思い出して実践していきたいです。

一瞬一瞬の関わりを見直してその場で変えて行けるようになります😊

 

今年もよろしくお願いします

私の悲しみを背負い受けている貴方へ

21.12.14

 

嘘に嘘を重ねて泣きながら笑ってる君の悲しみは、私が「こんな弱い私は私ではない」と捨てた私。

君が拾ってくれたの?

ずっと背負ってくれていたの?

 

待っていてくれてありがとう。

ずっとそばにいてくれたんだね。

みていてくれたんだね。

 

許してくれていたんだね。

気にかけていてくれたんだね。

愛してくれていたんだね。

 

森の中に一人取り残されて

ずっと助けが来るのを待っていたんだね。

今、迎えにきました。

顔を上げてごらん

手を繋ごう

 

愛されることを知りました

こっちを見てくれてありがとう。

手をとってくれてありがとう。

 

何があっても、貴方を傷つけていい人なんていないんだよ。

 

待たせたね。

遅くなってごめんね

今までありがとう

 

 

愛の世界を歩き始めました。

私の心が私に返りました。

初めから愛があることに気が付き、愛のない世界など虚像であったことを知りました。

 

貴方が名前を呼べば

私が答えられる世界です。

私が名前を呼べば

貴方が答えてくれる世界です。

喜びに溢れています。

 

貴方が声をかけてくれるまで、顔を上げるまでずっと待っているよ。今度は私の番だね。

 

貴方を救い出したいです。

その為にまず、私が救われてみせます。

私が幸せを見せていきます。

 

優しさをありがとう

この愛が貴方に届きますように。

私ではない私

21.12.10

 

好きではない人に対してドキドキする感覚がくる事がある。

緊張に似ているような気もするし、少し甘さの含んだもののような気もする。

 

胸の辺りから胃までもドキドキしてしまうような…

 

好きではない。

悲しみに共鳴してしまうような感覚

 

哀しい。心の奥底から

 

「逃げ出したい」と叫ぶようにドキドキしている。

私ではないワタシが逃げ出したいのだ。

私の中のアナタが逃げ出したいんだね。

辛かったね

よくここまで来れたね。

一人でいっぱい悩んできたんだね。

 

自分をずっと探してきたんだね

本当を探してたんだね。

本当にここまでよくきたね。おかえり

 

そしてただいま

待たせたね。遅くなってごめんね

沢山の荷物を持ってくれてありがとう

もう一人じゃないよ

 

沢山の悪夢も見たんだね

もう怖がらなくていいよ。

これで全部終わったよ

遅くなったね

 

こっちにおいで

愛してるよ

 

アナタと共に生きていくよ

 

許してくれてありがとう。

許されてくれてありがとう。

 

夢はもう覚めました。

 

愛に包まれた世界が始まりました。

自然の中で生きていけます。

 

アナタはずっと独りじゃないよ

そこにワタシもいるよ。

一緒にいる

孤独は一人ではないよ

 

アナタを見て、貴方を知ります。

アナタを聞いて、貴方を感じます。

 

今、ワタシとアナタが一つになり

愛に還りました。

 

私が私に戻りました。

 

私のままの私で、貴方に会いに行きます。

 

 

 

 

 

いつまでも

21.12.09

 

音楽からいろんなものを教えてもらうことはかなり多い方だと思うし、いろんなものを受け取ろうとしながら音楽を聴くことが多い。

 

最近は星野源さんのSame Thing 

を聴くことが多い。どれも素敵な曲で、とても考えさせられるような歌詞が多い。

その中のAin't Nobody Knowの歌詞はとても魅力的に思う

 

Ain't Nobody Know

Ain't Nobody Know

 

Ain't nobody know

Ain't nobody watching us

さよならさえもいつまでも

いつまででも奪えないさ

 

ルールを守ることや、他人を思いやること、世間体…

完全に自分の意思を通すことは難しいことが多い。

でも、いつまでもいつまででも貴方の自由を誰も奪えない。みんなもそして、貴方自身でさえも。

自分を律するとは、自分自身に対して嘘をつくときに使う言葉ではない。

自分を抑え込むものではない。

正しく導くことだ。

 

正しさとは人それぞれによって解釈が違う。だからこそ慎重にならなければいけない。

でも他人の正しさに合わせるのもまた違う。

それでは貴方の心は死ぬでしょう?

貴方の中の真心の正しさを見つけられたならきっと、それこそがみんなの正しさと一致する筈だから。

自分の中にみんなを見つけて、他人の中に自分自身を見つける。

それこそが鏡の世界

 

貴方の優しさが貴方を守り、救いますように

愛が届きますように

 

 

戒め

21.11.29

 

これは以前にも書いているかもしれないのだけど

「他人を責めたり否定したりする人になりたくない」っていうのは、

「『責める言葉や否定を思い浮かぶ自分』を否定している」ことだと思う。

 

確かに人に直接伝えるべきかどうかはきちんと考えて決めるべきだけど、思い浮かぶのを否定してしまうと自分を全否定するのに直結してしまうように思う。

 

そういうことをしてしまうと、理由のわからない苦しさがずっと付き纏う。解放されてからじゃないとその恐ろしさや悲しさは分からない。

恐ろしい。自らを自らが戒めのように責め続けることは

 

自分を愛するのがいつだって一番簡単で一番難しい。

「セルフラブ」なんて言ってる人達はどこまで醜い自分自身を愛してるんだろう。いつまでも向き合って付き合い続けないといけないのが自分なのだから…

「自分の機嫌は自分でとる」というのは本質だなぁといつも思う。当たり前のことのようにも思うし、とても難しいことのようにも思える。

我慢とは違うし、自分にはどうしたって嘘はつけない。

そして本当に自分が喜ぶことを選べた時って反対意見は出ないんだと思う。それをできている人がいるならば、きっとその人は愛に溢れていて暖かく愛そのもののよう人だと思う。

伝わるか分からないけど、源になれる人だと私は思う。発光源みたいな

そういう人に一人一人がなれたらもっと楽しく自由にアクティブになれるようになるはずだ。

 

何事も否定からでは始まらない

でも否定を否定して始まった気でいることも少なくはないはず。

もっと自分自身を解放していきたい

戒めなど意味がなかった

罰など何の意味もないのだから。

 

愛しかない世界で悲鳴が聞こえるのはなぜ?

 

愛しかない世界で許しがないのはなぜ?

 

なぜみんな許されたいと誰かの判断を待っているの?許してくれる存在とは一体誰?

 

苦しむ貴方をほっておいている人は誰?

 

愛を見ないフリしている人は誰?

 

冷え切った心の中で泣き続けているのは誰?

 

それでも貴方に寄り添い、愛を与え続けて、貴方が目を覚ますまで何も言わずに待ち続けていてくれる人は誰??

 

貴方は一生無限地獄の中にいるの?

 

夜明けを望みながら、また灯火を消すの?

 

小さな消えそうな勇気を無かったことにするの?

 

貴方の心に愛はなかったの??

 

優しく強い貴方は自分自身じゃなかったの?

 

全て貴方が選んだ貴方だよ。

 

振り返れば全て一本道だったね。

 

今は経過途中であり、中間発表地点。

まだまだ変わっていくよ。ここからだよ

 

ここからなんだよ。怖かったね

 

心配はしてません

 

愛を取り戻しました

 

愛に還りました。愛そのものです

 

私達は自然の一部だから身を任せて、自分自身を信じながら進むことしかできない。

 

争っているようで、先延ばしをしているだけ。

 

自分自身を救うことに本気になります

 

出来ること全て試します。逃げはしません

 

素敵な世界に私がいます。素晴らしい人たちの中に私がいます。私達は美しいです。

 

醜い私が、人に愛を優しさを与えられるようになりました。

 

愛を怖がらなくなりました。私が愛の源になります。

 

愛しています。ありがとう

 

十月

21.10.31

 

10月最後の日

一日一日終止符を打ちながら生きていきたいものの、

毎日つまらない昨日の続きを生きてます。明日もきっと今日の続きを生きてしまう。

泣いてしまう。悔しい。今日は今日のうちに終わらせたい

 

上手くいかない毎日を人のせいにして他人を責めるのは違う。

誰も悪くないのならきっと自分自身を責めるのもまた違うんじゃないのかな

 

結局誰かを責めることでしか、今の自分を肯定してあげることが出来なくて責めてしまう。

 

悪循環なのだと思う。

 

 

最近は日食なつこさんの「泡沫の箱庭」と言う曲をよく聞く。

https://youtu.be/300iWRnZ4LY

 

亡くなった人の夢を見る歌

歌詞の中で終わりではなく始まりだと告げられているけれど、どうも私には終わりにしか思えずこの歌にずっと囚われている。

 

悲しい。伝えても届かない想いみたいなのをひしひしと感じる。

 

どうしても人の死に囚われてしまう。悲しみから抜け出せないままでいる。ずっと私だけが一人でいる感覚になってしまう。孤独とは少し違って、皆がいる中に私だけが箱に閉じ込められている感覚に近い。

 

抜けたいのかどうかも今はわからない。

 

 

私の愛が貴方に届いて笑えますように。

優しさを取り違えることなく貴方に伝わりますように。