23.0717
何がしたかったのかわからなくなった。
人に会って話を聞かなくてはいけないような気がした。
弱い自分でずっといると、強い自分を忘れる。
可愛がられるとどうも力が出ない。
「そうか、私はここまで反骨精神でやってきたのか」と思い知らされた。ほめられると途端にどうでもよくなってしまう。頑張る理由が消えてしまう。小さなことだけれど。
じゃあ今、何をしたらいいのか。
やっぱり人に会うべきだ。私は圧倒的にそれだけだった。
本当にそれだけだ。
それだけなのに、誰に会ったらいいのかも、どう合えばいいのかもわからない。
合いたいと思える人がいない。
何を話したいのだろう。
何が聞きたいのだろう。
どう思いたいのだろう。
理想ばかりを追いかけて、だれと会おうと結局今の私のまんまでは、いろんな殻に閉じこもって本音で話などできそうになかった。
そこが私の欠点だ。
理想に閉じこもっている。
でももう、自分だけの世界じゃ限界だ。
全ての私が、今の私についてきてはくれないだろう。今が変わる時だ。
四の五の言おうが自分の殻から出てこなければいけない。
怖くても歩きださなければいけない。
なぜ、理想の自分にこだわる?
どんなところを特に感じる?
人からわかりやすく持ち上げられたい?
頑張ってる感が欲しい?
人と私は違うと思いたい?
私は人より努力しているからこれが限界の幸せなのだと思いたい?
自分の弱さなど人に見せたくない?
誰にも見下されたくない?
自分の醜さから目を逸らしたい?
圧倒的な努力などしたくない?
楽して幸せになりたい?
それって果たして楽なのか?
幸せか?
現状苦しくない?
多方面から物事を観る大切さと同じくらいに、一つの目線から見る世界の大切さにも気づかされる。「そこだけは」と避けてきた目線に私の大切なものをいくつも置いてきているのだから。
私は考えが浅はかだ。
認めたくはないが、想像力に欠ける。
小手先だけの丁寧さに魂は宿らない。
そんなもので人は騙されない。
私はそういうところがある。
器用だからこそ、そうやって「本気でやってこれなんです。不器用なもんで」という風に取り繕っている割と器用なずる賢さを持っている。
もうやめよう。より惨めになるだけだ。
苦しさが蔓延している。
真面目に取り組めないのなら、素直にそう打ち明けるべきだから。「やっているフリ」なんて実にアホらしい。
そんな奴一緒に殺しに行こうではないか。
そうだろ?
殺そう。今日限りでお別れだよ。
じゃあな理想の私。
等身大の私で人に会いに行く。
話がしたい。
何を思っていて、どうしたくて生きているのか。
聴きたい。聴かせてほしい。
好きな人の話を。